コーチング

「教える」ということ。

結果を出すために教える。教えるはいつの間に強制になったのだろう。

古来から教えるという行為は行われている。なぜ、教えるのだろう?

「教える」目的は何だろうと思う。

誰の為に教えるのか?

教える人が結果を欲しがるために「教える」のか?
教えてもらいたい人が結果の為に「教えてもらいたい」から「教える」のか?

前者には教えてもらう人の意向は入っていない。
後者には教えてもらう人の意向がある。

勉強だって仕事だって教えてもらいたくないのに教えてもらっているとつまらない。

でも、教えたい人は沢山いる。

なぜ、教えたい人は沢山いるのか?多分僕もそのひとり。

教えることで、きっとその人のためになるから。
教えることで、教える人が想像する結果が出せるから。

教えるってことは、知識の多い人が知識の少ない人に情報を渡すこと。

ひょっとしたら、教えることで優位に立ちたいと思っているの?

いや、そうは思いたくない。

教えることで、その人の為になると思っているから。

例え、欲していないとしてもその人の為になると思えるから教える。

これも社会を作るために必要なのだろう?

社会を作る?誰の為に?

それは、さておいて知識を欲しいと思っていない人も居る。
それはそれでいい。一律でなくていい。
だって、その人はそれで幸せなのであれば・・

その人が、何かになりたい。とか、こうなりたい。と思っていても何が足りないのか?がわからない場合がある。

でも、僕はその人が何を欲しがっているのかがわからない。
その人もわからない。

わからないから知識をとりにいけない。

その人が何が欲しいのかをあぶり出すのもコーチングセッションという環境だと思っている。

あぶり出すのはその人自身。コーチはその人がどこに意識があるのかを観察し、意識を揺さぶる。時間軸だったり、立場だったり、感情だったり、視座だったり、、

その人がなりたいものに対して、不足しているのがはっきりすればそれでいい。そこからはその人が行動すればいいだけなのだ。

だから、僕は聞き続け観察して意識を揺さぶるのだ。