考える時間が、いつの間にか後回しにされていく理由

決めなければならないことが、次々と現れます。
その場では判断し、あとで考えようと思う。
けれど、その「あとで」は、ほとんど訪れません。

時間がないから。
余裕がないから。
立ち止まっている場合ではないから。

そう言われる場面は、とても多いです。
実際、判断を担う立場にいる人ほど、
「考える時間を取ること」に、どこか後ろめたさを感じています。

考えている間に、現場は動いてしまう。
決断を待ってもらえない。
迷っていると思われたくない。

だから、とりあえず決める。
動きながら考える。
修正はあとで。

その判断自体が間違っているわけではありません。
ただ、その選択が積み重なっていくと、
ある変化が起きていきます。

判断はしているのに、
考えた感覚が残らなくなる。

決めているはずなのに、
自分で決めた手応えがない。

結果だけが積み上がっていき、
その途中にあったはずの「思考の時間」は、
どこにも残っていない。

これは、能力の問題ではないと思います。
意志の弱さでも、集中力の欠如でもない。

構造の問題です。

多くの場では、
「考えること」と「決めること」が
同じ瞬間に求められます。

しかも、その場で出せる答えは、
速く、分かりやすく、説明しやすいものほど歓迎される。

すると、考える時間は、
自然と「前」に置けなくなります。

あとで考える。
落ち着いたら考える。
時間ができたら考える。

そうして後ろに送られた思考は、
忙しさの中で、少しずつ削られていきます。

削られていることに、
本人が気づかないまま。

考える時間が取れないのではなく、
考える時間が、最初から用意されていない。

そんな場で、
落ち着いて判断し続けることは、
本当に可能なのでしょうか。

決断の数が増えるほど、
思考が深まるとは限りません。

むしろ、
考える前に決める癖だけが
上手くなっていくこともあります。

もし今、
判断はしているのに、
どこか手応えが薄いと感じるなら。

それは、
「考え方」が足りないのではなく、
「考えるための時間」が
後回しにされ続けてきただけかもしれません。

この問いだけ、
ここに置いておきます。

なぜ、考える時間は、
いつの間にか
後回しにされていくのでしょうか。