目の前の勝負にこだわる。
やれ受験だ。やれ甲子園だ。インターハイだ!というように、僕たちの前には、目の前の勝負にこだわる習慣が身についているようです。
そういう僕も、同じように受験や中学、高校でのスポーツは目の前の大会に集中していました。そしてそれが終わると、抜け殻の様になっていたことを思い出します。
それもいいと思いますし、全力をつくし情熱を注ぐ、これも有だと思います。
僕は異なる考え方
否定的な書き方になります。僕は異なっています。確かに高校受験や高校野球での練習に明け暮れていました。その時にも、疑問をもっていました。
高校に受かること。甲子園に行くことはゴールじゃない!じゃあ、今一生懸命するのは何故だ?
という疑問です。
その疑問に答えてくれる人はほとんどいないのが現状です。教員達の言い方は、「目の前のハードルを越えられないようならば、この先何をしても無駄だ!」というものです。
部活の指導者も言います。「この練習に耐えられなければ、この先なにもなし得ない」というものです。その時代はそれで良かった。
学歴社会であり、権威主義がまかり通っていたので、実績がある人が話す内容が正しく、実績が無いひとが話すことは間違っていると思われていました。
指導、育成ということに限って言えば、選手で成功した。受験に合格したから、いい大学にいったから指導、育成はできる訳ではないのです。
即ち指導、育成は学校や部活では教えてくれません。大学での指導方法はテクニカル・フィジカルが中心です。技術者に技術を提供することには長けていても、目標設定の方法や育成ステップを踏まえた指導ができる指導者は圧倒的に少なかったのです。
学校の指導者は学校期間で結果を出すことを求められているので、個人の特性にあった育成ステップを考慮する余裕はありませんので、受験や部活は上記のような言い方になります。
でも、僕は疑問をもちつづけました。
この部活動で自分の個性はどうか?僕の個性を活かすような状態なのか?体格で劣る僕は全く歯が立ちません。その時指導者はこういいます。「今部活を辞められると、部活の存続があやういので止めないように」。このように釘を刺されてしまいます。
組織を主にすれば、確かにその通りです。ただ、僕は組織の存続のために存在するのであって、僕のためになるかどうかは二の次だったと思えたのです。
そのためか、高校や野球の部活で全力をすり減らすことには疑問を持ち続けます。そして社会人になり、実業団軟式野球では、高校では残せなかった好成績を残す事ができたのです。
いつ、成長するのか?
いつ、勝てるのか?
いつ、勝とうとするのか?
この考えがクビをもたげてきます。例え、今勝てなくても、勝てるときがくるんです。その時を考えつつ、練習することがその後につながるのです。
長い人生ですので、勝負に焦ることはありません。僕はそう思うのです。
これを読んでいるあなたも、いつ勝とうとしているか?を念頭にしてほしいと思うのです。