やっぱり勝ちに行きたい
ティーチング、コーチングすべて、その人が思うような結果をもたらしたいと思って、使うものだと思う。僕が常々思っているのが、「日本人って過剰に依存しているんじゃないのか」ということ。
自分の成し遂げたいことは、自分が行動して掴むしかないのに、「だれそれに教えてもらえば、、」「誰それにコーチングしてもらえたら、、、」という風に思っているということ。
もしくは、「私は未熟だから、たすけてくれるのが当たり前でしょ?」というもの。
「人の役に立ちなさい。」「困っている人がいたら助けてあげなさい。」
そういわれて育ってきたし、そうして上げることが良いことのように思っている。確かにそうだと思ってる。しかしこのことが、「困っている場合には、人が助けてくれる」というふうに思いがちになること。「困っているのだから、助けてくれるのが当たり前」と思うようになったら、最悪だと思う。
「他人が困っていようが、困っていまいが、関係ない」のが人。親しい人が困っていれば、助けるけどね。ただ、それにも限度がある。それをわきまえることが必要だと思う。
僕は勝ちに行きたい。でも、なかなか勝つ事ができない。困っている。
こう思う人がいても不思議じゃない。困っているのだから、助けてあげるべき?と、困っている人は思うかもしれないけど、勝ちに行きたい人を助けるほど、暇な人はいない。
勝ちに行きたい人を助ける暇な人はいない。
貧困で困っている人に対しても、多額の宣伝費をかけなければ募金が集まらない。なにもしないで助けてくれる人なんていない。
人は、他人に対して結構冷淡だとおもっている。
それを踏まえ、行動するしかない。Luckyを運んでくれる「青い鳥」はいない。
それでも、勝ちに行きたい。だったらどうするのか?
簡単だ。募金を集めるために、宣伝するように「伝える」ことなのだ。そして、助けてくれる人に対価を払うべきだ。無償で!というひとがいる。それは人の親切をむさぼり食うだけのひとだ。
助けてくれる人にも「生活」がある。その「生活」を削ってまで助けてくれるのだから「感謝」を伝えるしかない。「感謝」とは「お金」で代用できる。
僕は、勝ちに行きたい。だから、助けてくれる人に対して「感謝」する。気持ちで!とは行かない。だって、その人の時間を僕に提供してくれるのだから。
助けてくれる人が助けてくれたとき、その後に得る効果は相当なものになる。僕が提供しているサービスなど、数十倍になって返って来る。
事実僕は数十倍の効果を得ている。
僕自身を勝ち組だという人がいるかもしれない。それは、助けてもらったからかもしれない。でも、助けてくれる人を待っていては、助けてくれない。
助けてもらうためには、行動しかない。動くしかない。動くこと。行動することが助けてくれる人を作る。その結果、勝利を引き寄せることになるのだ。
自ら判断して行動することが勝利を引き寄せる。僕はこれ以外にないと思っている。