スポーツコミュニケーション

ぼくが手にしたかったもの。それは、、

いつでも向上心を失わないこと

人と競争することで、向上心を持つことが今までの僕だったのだけど、起業するとそうもいかない。誰ひとりとして同じ条件の人はいないので、同じ速度で、同じ尺度で競争できる人などいないのだから。

そんなときには、やはり向上心を失ってしまうのです。これまでにも幾度となく向上心を失いかけてしまった。それでも良いのかもしれない。個人事業主としての活動を辞めて、バイトでも何でもすればいいのだから、そっちの方が楽になってくることが、自分としての価値ならばそれでもいいと思います。

そんなときに、コーチと話すことは自らの目的のこと。なぜ起業したのか?なぜ、コーチになろうとしているのか?そんなことを話すのです。

自ら道を定め、自ら開拓し、失敗も多く、もうこれ以上進めない。日々の生活費にも事欠くことも想像できるときに、今一度、目的を口にする。言葉にするのです。

多分に見失っているのです。

手っ取り早く、お金になる方向に走っていこうと思うのです。

そこで、コーチがまるで他人事の様に、こんな風に言います。

「そもそも、起業したのはなにがしたかったの?」

その言葉で、思い起こします。

わざわざ、公務員という立場を棄てたこと。あと、6年残して退職する。このまま勤め上げれば、県庁本庁舎にある”課長”という立場に立てた可能性が高かった。それを棄ててまで、やりたかったのはなんだったのか?ということ。

情熱を持ち続けることを、僕は望んだ。だから、辞めたのに、たかが金のためにそれを諦めるのか?

そう思うと、まだやれる!

そう思えるようになります。そして、コーチと共に考える事は、今までとは異なる選択肢を出すことなのです。

僕は困窮すると、視野が狭くなり視点が近く成ります。直ぐに結果が出ることを望むので、あまりにも選択肢が限られています。

コーチと話すことで、視野を少し広げ、視点を遠くする(目標を時間軸で遅らせる)ことが可能になります。これによって、様々な選択肢が遡上してきます。

これが、僕ひとりでは不可能だったのです。

でも、ひとりでやることが重要だと思い込まされていたので、困窮してしまっていたのが50才までの僕だったのです。

そもそも、ひとりでできるコトが限られています。なのに、ひとりでできるコトが一人前であると思い込まされている。みんな同じである。と思い込まされているものを取り去ってくれるのもコーチです。

これが、できる様になって、できない事は他の人に訊けば良い。できること、できないことを自分の特性に応じて行動すれば良い。という考えに変わることが可能になったのです。

これらの経過で、僕は六年間、向上心を失わずに耐えず行動し続けることが可能だったのです。

そして、今も、次のステップに向けて行動しているのです。