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外国人選手と日本人選手のパフォーマンスの違いは?

以前、日本人と体格が似通っているスペイン人。そのパフォーマンスの差はなぜ生じるのか?という興味深い話を伺うことができました。

これはサッカー選手の場合です。

結論から言えば、以下のとおりになります。

スペインのサッカー選手

選択肢の多さ。想像力の豊かさにそのパフォーマンスにでている。
スペイン人のサッカー選手は幼少の頃から、ひとつのプレーを起因としてその後の展開を選手に言ってもらう指導(対話)をしているのだそうです。

ひとつのプレー。かなり限定的なプレーになります。ここから、どのように発展していくのか?パターン1、2、3、4などをイメージしていくのだそうです。

日本のサッカー選手

選択肢の少なさ。限定された想像がパフォーマンスにでている。
日本の教育状況に影響されているのだと考察があります。日本の教育は、上意下達からの情報提供です。提供された情報を再現することが重要であるため、発展が少ないのです。そのため、正解がひとつしか無いといえます。
ひとつのプレー。その結果はひとつとなっているのだそうです。

言語の仕組みによるパフォーマンスの違い

外国語、特に英語の文章の成り立ちは、個⇒全体という流れになっているのだそうです。ひとつの現象をもって、それがどうなっているかを説明するようにできているのだそうです。だから、個から想定できるパターンを限定していくので幾つものパターンになります。

一方日本語は、全体⇒個という流れになっているので、結果ありきの言葉や表現になっていくのだそうです。全体(結果)がひとつで、そのために個を説明する文章になるということです。

体格だけでは説明出来ないパフォーマンスの差

最近の日本人選手は、海外で活躍し始めています。体格差や筋肉差などで説明出来ないほどのパフォーマンスを発揮しています。栄養価が高くなったというのもあります。それだけで説明仕切れれないのと僕は思うのです。

文化面を含め、パフォーマンスの差を検証するとどうなるのでしょうか?小柄な選手が体格(大きさ)で勝る選手よりもパフォーマンスを発揮するのはなぜでしょうか?

さまざまな要因があるのだと思います。その一つに、言語の成り立ち、構文の差からくるマインドセットかもしれません。

自己実現を是とする国ではパフォーマンスは無限に存在すると思われています。このマインドセットもパフォーマンスに差を生じさせている一つの原因なのかもしれません。

曖昧を具体にする試み

今回出版した「スポーツにおける言葉のチカラ」は、言葉の使い方を、言葉のアプローチを変えてみることを提案したつもりです。

日本語は全体から事象をとらえているので、表現する場合は一般化されていきます。一般化とは、曖昧さの多い表現、または事象を多く含む言葉による表現と定義します。

このことが、限界を限定してしまうかもしれないとおもえていますし、パフォーマンスを上げるときに、個々の部分を具体にしないまま練習をすること、物事を捉えることの習慣が低パフォーマンスにつながると仮定しています。

とすれば、高パフォーマンスを発揮するためには、個々の部分を具体化することが有効になる可能性があるということです。

このことは、英語圏での表現方法とにていると捉えます。個⇒全体という考えたかをすれば良いのです。

このことは、体格が似ているスペイン人のサッカー選手のパフォーマンスの高め方に似ていると思えるです。

スポーツのパフォーマンスを上げるために英語圏に行くスポーツ選手

海外へスポーツ選手が拠点を移している事実をみれば、今現在のスポーツ選手の育成に効果的な環境はどちらかは明白なのでしょう。

日本のスポーツ界で、パフォーマンスを上げていくことをするのであれば、考え方、アプローチの方法を見直す。つまりは、表現の方法を変えていくことが効果的と僕は考えています。

それが今回の本に書かせて頂いた内容なのです。

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