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未来は創られてきたんだ。

10年前から想像もできないこと

この3月で60才になる。僕は、10年前、50才の時にこんな風にして生きているなんて、想像もできていなかった。ただ、漠然と「起業したいなあ」だった。

50才の頃には、群馬県立敷島公園などの県立公園のリニューアル、県立公園を市立に移管。自らが仕事をするのではなく、部下が仕事をしやすいように立ち回ることというのが、マネジメントなんだと思い始めていた頃だった。

身銭を切って、数百万円をコーチングの学びと実践に費やす日々を起こっていたのもこの頃のこと。

54才になって、公務員を辞めたときには、かなりの投資を自分にしていたことを想い出す。

そして、投資の回収の目処など立っていないのに、無謀にも退職して今になっている。

おかげさまで、声がかからなかった自分にちょぼちょぼとお声をかけてくれる人達が増えてきているのが起業して6年を過ぎて、徐々にではあるけど出てきている。

コーチを雇う

起業して直ぐに、僕はコーチを雇った。いわゆるビジネスコーチである。

役所時代は、仕事が上から降ってくるので事欠かなかった。降ってくる仕事を処理できる自分は凄いんだ。なんておもっていた。

起業して、どうなるかはわからない。仕事も与えられるでなかった。仕事を発掘することになる。需要はどこにあるのか。ニーズはなんなのか。

そもそもコーチングなどは、需要があるのだろうか?

そんな思いをもっていた。

きっと、誰の支えも無ければ頓挫すると思っていたから、誰かしらの支えが、僕には必要だ。と、何となく想っていた。

そして、コーチを雇うことにした。

コーチを雇う目的は、行動力を保つこと。

多分迷う

多分不安になる

多分疑心暗鬼になる

多分自己否定に走る

多分モチベーション下がる

いろんな事が想定できた。その中で、行動を止めないためには、僕はコーチが必要だと判断したのだ。

軌道修正を始めてとして、自分の行動や発案を止めないために、自分の未来を創るためにコーチを雇うことにした。

そして、今がある。

ある程度、収益はあるが、まだ先がある。さらにできると自分は想っている。

その可能性を最大化するために、僕はコーチを雇い続ける。

コーチってそんなにいいの?

そう思う人もいるだろうけど、コーチを雇ったことがある人はわかるだろうけど、コーチがいるのといないとでは段違いだ。

僕が、こうやって今いるのも、コーチがいるおかげだと思っている。

その時に想像し得なかった場所に今、僕はいる。

コーチと共に立っている場所だと思うが、コーチは傍観者として時々に僕の行動を信じて話を聞いてくれている。

未来はわからない。未来は自分で創って行くしかない

とても勇気が要ることだから、途中でへたってしまうかもしれない。

人間だから、弱い僕だから、僕はそれを知っている。

未来を共に創る傍観者。

だから、僕は今、ここにいる。