コーチングのクライアント募集していて、違和感を感じることがままあります。なにに違和感を感じているのか?というところから、コーチの雇い方をお伝えします。
何故、能力を最大化させるのか?
そもそものお話。コーチングは何のために整理されたのか?というところからはじめます。
思考を刺激してその人の能力が公私ともに最大化されるように関係性を築く。というコーチングの定義があります。
関係性を築くのはコーチとクライアントです。
思考を刺激するのはコーチです。
能力を最大化するのはクライアントです。
関係性を築くために整理されたのではなく
思考を刺激するために整理されたのではなく
能力を最大化するために整理されたものだと言えるのです。
では、能力を最大化させるのは、何のためなのでしょうか?
能力を最大化させると、どんな良いことがあるのでしょうか?
能力が最大化できれば、こんなことが起こります。
ある目標地点に到達したいと設定します。
能力が最大化すれば、現在地から目標地点までにかかる時間が短くなります。
短くすることで得られるメリットは何でしょうか?
ということです。
目標地点に到達することが第一ではないと僕は解釈しています。
例えば、ある観光地で観光することを目標とします。
観光地に行くまでにどんな手段を使いますか?
全行程には制限時間が設けられています。
観光地までに行くまでも、旅行行程を愉しむのであれば、過程に時間を要するものが良い手段になる可能性があります。その場合、観光する時間が少なくなるのです。
ここで、観光地まで行くことの目的を再度思い出して欲しいのです。
観光地に行くまでの行程を含めたことを、観光の目的にするのか?
それとも観光地で観光をする事を目的にするのか?
どちらなのでしょうか?
旅行は行程を含めて旅行という解釈があります。
一方、観光地を堪能するのが目的である。という場合もあります。
どちらが主目的かで、移動手段の選択が変わると僕は解釈しています。
コーチングはビジネスで使うことを重きを置いたメソッドであると仮定します。
ビジネスでは結果を最短で出すことが求められていると仮定します。
なぜ、最短に結果を出すことを求めているのでしょうか?
文化的な背景からコーチングの起源を考察する
仕事にに対する、ある文化的な背景を述べていきます。
欧米の文化のバックボーンはキリスト教である。またはユダヤ教などです。
旧約聖書に仕事に対する価値観が描かれています。
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アダムとイブ。エデンの園の住人です。
楽しく幸せに不自由なく暮らしていました。しかしあるコトをきっかけにして楽園を追放されてしまいます。あるコトとは、神さまの言いつけを守らなかったコトです。このコトを原因として、楽しく幸せに何不自由なく暮らせていた楽園を追放されます。
神さまの言うことを守らなかった罰を背追ってです。
この罰のうちのひとつが「労働」です。
額に汗して働くことを罰として、課せられました。
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人間はもともと楽園に暮らしていた。楽しく生きるのが本来の姿。
労働は罰ゲーム。
仕事で目標を達成するのは「罰ゲーム」のひとつなのです。
とすれば早く片付けたいのです。
観光で過程をたのしむなんてことは「労働」ではあり得ないのです。
「労働」をいち早く片付けて、「楽しむ」ことが欧米圏にとって、正しい人間の在り方なんです。だから、いち早く仕事を終わらせるために能力を最大発揮させる必要があり、コーチングという対話が整理され、採用されているのです。
私たち日本人は仕事を神聖化している傾向があるように見受けられます。仕事を早く終わらせて、遊ぶなんて罰当たりなこと。という雰囲気があるように感じます。
なので、早く仕事を終わらせる方法は、実は御法度なのかもしれません。観光地に行くために過程を楽しむほうが良いのです。
ですが、文化的背景が代わり始めています。
パワハラをはじめとする成果を優先とする仕事になっています。仕事が罰ゲームの様に認識している時代背景になってきているかもしれません。
このように感じている人にとって、仕事を早く終わらせるために、能力を最大化することは当たり前のようになってくるでしょう。
能力を最大化すると、楽しい時間は最大化する!
仕事を早く終わらせるために能力を最大化させる。
仕事を早く終わらせて、残った時間を自分のために使う。
残った時間を増やすために能力を最大化させる。
というロジックを採用する人が増えているかもしれません。
仮にあなたが、自分の楽しい時間を増やしたいのであれば思考を刺激しつつ、能力を最大発揮させるメソッドを持っているコーチを雇う選択をとっても良いのだと思います。
令和4年6月21日(火)
茂木ゆういち