コーチの雇い方

コーチの雇い方(17)仕事早く終わらせて、楽園にもどる。または、仕事の質を高めて神さまに奉仕するのか?

「ひろさちや」さんが書いた本に「仏教流 上司学」という本に仕事にまつわる価値観が書かれていた。
キリスト教圏のおいて仕事は「懲罰」なのだそうだ。
日本の様な国においての仕事は「神事」なのだそうだ。

文化的な背景を捉えることでコーチの雇い方がわかる。

日本は多神教であり、そこここに神さまがいると言われて育っている。太陽も神さまだし、風も神さまだし、植物にも神が宿っているし、そんじょそこらにも神さまがいると思っている。農耕民族であったとすれば、植物を育てていることは神さまが宿っている植物をそだてている。という考えに至ることが仮説になる。

新嘗祭、豊穣を祝う祭りなどがある。全ての神さまに感謝をする。ということ。ということは、農作業が神事なのだ。

一方、キリスト教など一神教は、神さまは一人しかいない。穀物や動物に神さまは存在していない。そもそも労働はアダムとイブがリンゴを食べた「罰」として「やらされている」ことなのだそうだ。キリスト教における人生は「楽園」で、禁止されていたことをしてしまった。人間は本来楽園にいることが正しい姿で、労働している姿が「罰ゲーム」の状態だと言うことになるのだそうだ。

「罰ゲーム」を少しでも早く終わらせたいので、労働の効率化を図ることが「よし」とされているのがキリスト教圏の思想にあるのではないか?ということ。

一方、日本における労働は「神事」なので、働くことこそ「尊い」行いなので、早く終わらせることは「神をないがしろにする」行為なのだ!

罰ゲームから一刻も早く逃れるために効率化するという考え方。

とすれば、日本において「仕事を効率化」することは「神事」を軽んじていることに通じるかもしれない。だからDXなど、効率化することは「けしからん」という風に感じる人がいるんじゃないかということなのだ。

「仕事の効率化」という側面では「コーチング」も同じ作用を示すのです。自分の能力を最大化させるのだから、早く仕事が終わってしまう。そうしたら、神さまに奉公する時間が少なくなってしまう。仕事をする事が「是」なので、能力を最大化させずともいいのだという考え方になってくるのです。

私は、キリスト教圏でコーチングが流行りだしたのには理由がある。そう思っているのです。その理由とは、「一刻でも早く罰ゲームを終わらせて、人生の楽園に戻る」という理由です。効率化すれば、早く終わるし、早く帰れる。だから、効率化のためのノウハウを学ぶのです。そして身につけるのです。

よりよく、質の高い仕事をこなし精進するためにコーチを雇うというやり方。

一方、日本人の多くは「仕事を早く終わらせてどうするの?仕事って大事でしょ?終わらせて遊ぶなんて神に対する冒涜だよ」といいつつのんべんだらりと神さまと一緒にいる。
なので、効率化は神に対する冒涜する行為なのです。だから効率化を敢えてしないという状態になります。

これらは考え方なので、どっちでもかまいません。

もし、あなたが仕事を早く終わらせて「楽園」に戻りたいのであれば、コーチを雇うことに対する投資は、あなたの人生に大きなプラスになります。

ずーっと神さまと一緒にいたいのであれば、仕事を早く終わらせるのは「もってのほか」以外にありません。ですが、より良く質の高い仕事をこなし、精進するという考え方もあるのだと思います。

どちらを選ぶかは、あなた次第です。

令和4年6月13日(月)
茂木ゆういち