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私の「日本初」自慢。他の人ではできないことをやってきた自負がある。

私の売りとは何だろうか?

私の売りは、話しやすい人柄と話し方だと思っていた。なぜ私をコーチにつけると目標達成確率が上げられるのだろう?私は、クライアントにどんな影響を与えることが出来るだろう・・

などと考えてきた。話しやすい人柄だけではカウンセリングになる。クライアントは一人では達成が難しいテーマを持ち込んでくるのだから、私ならではの持ち味がなければならないのだと思うようになった。では、他の人にないものは、何なのだろうか?という風に考えて行く。

すると、自分になにか「日本一・初」のものはないか?探してみることにした。

まず一つ目「交通渋滞における経済的損失」の発表(日本初:平成元年度)

日本で最初に「交通渋滞における経済的損失」というレポートを発表した。という実績がある。ということに気づいた。もちろん前任者からの引き継ぎの内容ではあったが、最終的にまとめて発表したのは自分である。その部署では前々から本省サイドからの依頼でまとめていたものが、僕が入省した年度に発表ということになったのだ。その後、全国の渋滞調査をまとめるということもやったのだ。

引用 https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-perform/h18/07.pdf

二つ目「点字ブロックの曲線化(国立リハビリテーションセンターとの共同)」日本初

高崎駅西口線。高崎市役所の前にある道路。ピンク色の御影石の中に灰色の点字ブロックがある。これは、国立リハビリテーションセンター(所沢市)との共同で設計した点字ブロックなのだ。高崎駅西口線は高崎駅にまっすぐ進む道路であり、視覚障害者にとっても重要な路線。どんな案内をすることが、視覚障害者にとって有用であるのか?効果的であるのか?をテーマに考え、設計していった。高崎市役所から高崎駅へ行く方向を見失わない導線の確保を行う。結果、このようなものになった。30年前の事である。

引用 http://www.takasakiweb.jp/column/eiga/article/013.html

三つ目「下水(汚水)処理に関わる処理率」の日本初(H8.10月)の公表

平成7年度に、汚水処理行政に大きな波がやってきた。それは、合併処理浄化槽、農業集落排水事業、下水道事業を効果的に配置するための計画を作れという号令が全国に下った。当時下水道課にいた私はこれ幸いとして、関係各課に走った。ここで培ったのが「巻き込み力」なのです。
当時は縦割り行政の垣根が高かったが、皆で取り組む体制を構築し汚水処理に関わる処理率の公表にこぎ着けた。全国ベースではH9年度に発表だった。しかし、群馬県ではその1年前に公表したのだ。その首謀者は紛れもなく私なのです。

引用 上毛新聞データベース

人がためらう事を先んじてする。これが成功の鍵!

ここまで3つの事象を紹介しました。これら全ては、他の人はためらうことばかりです。面倒くさいことばかりです。新規入省の6月に論文発表。基準にない点字ブロックの設計設置。縦割り行政の打破。全て既成事実を破らないとできない事ばかりです。実際には多くの労力と上司の説得を行っています。それに費やすエネルギーと熱量は膨大なものばかりです。

これが、「私の普通」なのです。当たり前に、堂々と進んでいきます。私はこれが当たり前だと思っていました。周りの人に話すと、なにか凄いことのように言われます。

私の中には、このエネルギーが在るそうなのです。

私をパートナーにすることで、このエネルギーにあなたも影響されることでしょう。そうすれば、あなたの「一人では叶えられない夢」も叶える事が可能になるかもしれません。

是非、パートナーとして選んでください。

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