スポーツコミュニケーション

画一的指導と個別指導について

なぜ、一律な練習が必要なのか?

学校やクラブチームでの集合練習で、一緒に走ったり、まとまって行動することの重要性を僕たちの昭和世代は知っています。改めて、なぜ一律の練習が必要なのでしょうか?

小さい頃、アメリカのメジャーリーグ達の練習やアメリカンフットボールの練習風景をテレビ画面から眺めていました。個々にアップして、別々でコンディショニングを整えていました。

日本人は、体型が小さいのでまとまって行動することが体格で勝っている諸外国に勝つための方法だと教わり、それが当たり前だと思っていました。そしてチームワークという考えを教えられ、「みんな想いを一緒にして、行動すること」がチームワークだと思い込んでいました。

本当にそれが、スポーツ選手に必要なのでしょうか?

知識や技術が乏しいときには、その行動も必要な時もあるでしょう。しかし、日本において現在それは有効なアスリートの育て方なのでしょうか?僕は今、そうは思えない状況になっています。

野球で言えば大谷翔平選手。彼らは一律の指導も受けていたでしょう。しかし、それは長く続いていなかったことは容易に想像できます。

大谷翔平選手が高校一年の時、マンダラチャートで、なりたいものを分割して書いた表があります。これにより、自分にとって何が効果的な練習なのかを認識しています。

多分にここから、大谷翔平選手は練習方法を変えていたのでしょう。

すでに、一律の練習ではなくなっています。選手は体格、性格、骨格、筋肉、思考特性がひとりひとり異なります。自らの特性を活かす段階になれば、一律的な練習の効果は低くなっていくことは容易に想像できます。

では、なぜ一律の練習なのでしょうか?

それは、指導者が不足していることと自らが考える事を放棄した日本人の多さがあると推測します。

学校教育から「先生の言うことをよく聞く」良い子が尊重されています。学校世界でのヒエラルキーは「指示を守る子」が高く、「指示を守らない子」が低くなります。

この状態が幼少期から続くので、指示待ちになって当然です。そうなるとスポーツ選手も「次の指示は何だろう」という状態になります。なにせ「楽」ですから・・・

学校そのものが、一律教育です。会社に就職するために必要な教育をしていくのですから、一律教育であたりまえなのです。そういう人材を育てているのですから、そういう人材を育ているのが目的だとすれば、一律な練習が当たり前になります。

西澤さんとのトークライブ

本当に才能を開花させるために「アメリカ流コーチング」

西澤さんとのトークライブで、僕の意見と似たものになったのは、テクニックを向上させたいのなら個別指導。という下り。当たり前と言えば当たり前です。

アメリカなどでは、ごく当たり前に導入されている「アメリカ流コーチング」。普段の生活の中に「ごく、当たり前」に活用されているサービスです。

なぜなら、個別指導の前提にある自分の認識をより具体的にすることが有効だからなのです。

アンケートに答えて3回の無料セッションを手にしてください。

「アメリカ流コーチング」のサービスは、自分の能力を自らが伸ばしていくためにあります。自らの目標に到達したいと思っている方には有効なサービスです。

有効でない方もいます。「癒やされたい」とか「解決してもらいたい」という依存性の割合が高い人です。「○○してくれないから、できない」という思考を持っている方にとって有効性は少ないです。

ですから、自らの目標に到達したいから自分の能力を伸ばしたい方です。しかも、着実に時間がかかっても伸ばしたい方です。

アメリカ流コーチングで大切にしたいのは「相性」です。話して見て、相性が合わなければ、その時間の有効性は下がります。そのために、無料セッションを提供しています。アンケートに答えて無料セッションを行って、私との相性を見極めてほしいのです。

アンケートはこちらから