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怒りはエネルギーになるが、戦略的にいこうじゃないか!

ふつふつと怒りがこみ上げてくる。何に対して怒りがこみ上げてくるのか?まあ、よくわからないところもあるのだが、怒りがこみ上げてくる。

今朝(3/25)、ある人と話していた。

法律は正義だと思う。法律は決して間違っていない。

こんな話をしている人がいた。

なぜ、法律を正義だとおもうの?

そもそも、法律は何のために作られてきたの?

そんな事を話していると、法律とは何なのかが見えてくる。法律の意義を云々するつもりはない。ただ、法律=決められたルール を決して間違ってはいけない。という思考になってしまったのは何故なのだろうか?と思ってしまう。

話をずらして、完璧主義という言葉がある。完璧とは何だろうか?この言葉が存在することが、迷惑だと思う。完璧とはどんな状態なのか?完璧の定義は何なのだろうか?何があれば完璧と言えるのだろう?そのプロセスを経ずに、完璧という。

完璧を目指す。完璧とは少し欠点もないことを言う。完璧とは誰が判断するのか?

完璧な球というものがある。完全なる球体?どうやって立証するの?なにを使って立証するの?そう考えてしまう。

例えば、人間が立証するとしよう。

完璧な人間はこの世に存在しない。そもそも完璧な状態とはどんな状態をもって、完璧な人間と言えるのか?だれか言えるのだろうか?

例えば、機械が立証するとしよう。

完璧な機械はこの世に存在しえるのかどうか?機械をつくるのは誰か?機械を作製するのは何か?そう考えてみよう。

完全な球。欠点がない球。欠点を定義して欲しい。何が欠点なのか?僕はよくわからない。

完璧を目指すひとが居る。その完璧とは何なのだろうか?完璧を目指させているのは何だろうか?誰だろうか?

春の甲子園でアナウンサーが解説する「完璧な守備陣です」と・・突っ込みたくなる。何をもって完璧というのか?

面倒くさいから、ここで突っ込むと煙たがれる。面倒くさい奴と思われる。でも、完璧と言い切る限りは説明できると思うのだ。でも、訊くとめんどくさがられる。

答えられないことを平気で使う。多用する。そのことによって、完璧という状態がある。至極当然にあると思う。そんな状態を創り出している。という事に気づいて欲しい。

学校でも、家庭でも「決まりは守りなさい」とい口酸っぱく言う。なんどもなんども繰り返し言う。そうすると、いわゆる「いいこ」が育つ。良い子は、決まりを守ることを大事に思う。決まりを破ると、トタンに不安になる。

悪い子になると、村八分になってしまうのではないか?との強迫観念に襲われていく。

居心地が悪くて仕方ない。完璧主義を唱える。決まりを守ることに必死になっている。

完璧とは何か?

決まりを守るのは何のためか?

なぜ、決まりがあるのか?それは誰のためなのか?

すり替えられないために、問いを煮詰めていく。

僕の力では社会を変えることはできない。他人を変えることはできない。できるのは問いかける事しかできない。僕は問いかけることで、影響していきたい。

もし、あなたが完璧主義者であれば、自分に問いかけて欲しい。

何のための完璧主義なのか?

完璧とは何なのか?

何をもって完璧と言うのか?いえるのか?

完璧になれたとしたら、次の瞬間はどうなるのか?

そもそも完璧といえる人間は存在するのか?

完璧を目指すことで、幸せは訪れるのだろうか?

本当にあなたが目指しているのは、完璧な自分なのですか?それとも・・・

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