近くの公園の樹木をみて思う。

特別綺麗でも無い、近所の公園の木。樹種は解らないけど、所々に新芽が伸びている。淡い緑の葉っぱだ。
一つの根から、枝各々に栄養が行き渡る。そんな構造をしていると思いきや、新芽が伸びているのは一様ではなのです。
すこしずつ、すこしずつ、伸びている葉。
みんな一様にそだつのであれば、一斉に淡い緑の葉がでてくるのに、ところどころなのです。
ずるくはないし、不平等ではないし、有りの儘なのです。これが自然界の理だと思います。
僕たちは、ひとりひとり異なるのに、同じように学び同じように学校にでれば平等に社会人になれて幸せになれると思い込んでいたりしませんか?
不平等が、自然界では当たり前のことだと思うのです。思うのではなくそれが事実なのです。違って当たり前で、まちまちなのですし、それでいいんです。
僕はそう思うのです。
人の成長もまちまちでいいんです。その人が成長する時期があって、平均から遅れている、早いからと言って争っても無意味なんです。
樹木の生長をかんさつすれば、早い遅いがあって当たり前なのが自然なのです。早ければ早いなりに、おそければ遅いなりに、なのです。
早いといい、とか遅いといい。ではなく、その人にあった環境でそだつだけなのです。いたってシンプルです。
コーチという立場でかたれば、コーチなんていらないのかもしれません。存在しない社会の方がいいのだと思います。人がありのままで、思ったコトや感じたことを、そのまま見失わずにいればいいのです。コーチは、人間社会において、見失ってしまいがちな自分の持っている視点や視野を取り戻す役割をはたしているのだと思います。
制御をかけられている状態から、人間本来の思考や視点や視野を取り戻す役割をしているのだと思うのです。
ありのままの自分に、何かしらの制限がかかっているかもとおもったら、近くのコーチ(ICF認定がお勧め)に相談してみては如何でしょうか?
近くにいないなあ~という方は、ご相談および体験セッションを提供しています。