For アスリート/スポーツ選手

アスリートは思考力を深めて這い上がっていく

プレーの質を高めるには、思考力を深めること

前のブログにも書いていたけど、思考力を深めることはプレーの質を高めることになる。体力勝負ということだ。思考力が備わってこその体力と思っている。

画一的な指導の下成長してきた選手が、学年というカテゴリを抜け出した時に問われていくのが思考力になる。

学校という組織でのレギュラーは、毎年入れ替わる。無条件に卒業していくレギュラーがいるので、順番によってレギュラーが補われる。これが一般的なレギュラーの入れ替わりだ。

プロになると順番が無くなる

プロ或いは社会人のチームに入るとレギュラーが定期的に入れ替わる儀式がなくなる。10年近く活躍する選手もいれば、1年で消えていく選手もいる。

有望な選手が否応なく卒業させられることが無くなるのだから、レギュラーの順番待ちはあり得ないことになる。

特殊な場合を除いて入りたての選手は、直ぐにレギュラーにはなれない。先人のレギュラーがいるからだ。そして、その人が体力が衰えるまで引退することはない。それは、10年続くかもしれないという状態。

順番でレギュラーの座をもらえるわけではないのだ。その現実が待っているのだ。

試合出場のチャンスをつかみ取るには、自らの特性を伸ばすこと

順番でレギュラーをもらえないまま、プロなどでやっていくことを好む選手は少ない。諦めて裏役に務めるか、辞めていくか。選択肢は様々だ。

先人のレギュラーを凌駕するために、練習をする。なんの為の練習なのだろう。何を伸ばすための練習なのだろう。そう考えて練習を積む。

そして、練習で伸ばすのは、欠点を克服するのか。強みをさらに伸ばすのか。の選択をする。

コーチたちは欠点を無くすように指示する場合が多いようだ。これはビジネスにおいても同様なことが行われる。

先人の優れた人に追いつき追い越すために、人は努力する。練習する。実はこの考え方が有効ではないのだ。

相手の土俵にのらない

競い合っている相手を主軸に考える。そして、相手の主軸の優劣で勝負仕様としてしまうことが、敗因になる。

そもそも、全ての人の個性は1軸では比較できないものなのです。相手が評価されてきた軸において競おうとしても負けるに決まっているのだ。無理矢理に相手の評価軸に合わせようとすれば、あなたの個性を活かせない可能性が高くなる。

競っている相手に追いつこうとする。徒競走であればそれでいい。でも、競ってる場面は徒競走ではないのだ。相手の得意分野でレギュラーの座を勝ち取ったとすれば、そこで勝負するのは余り良くないと思う。だから、相手の土俵にはのらないことを選択する。

自分の土俵はどこなんだろう

画一的な指導、教育環境に身をおいていると自分を見失ったままになる。自分の特性は人と異なっているのか”当たり前”のことなのに、そこに罪悪感や疎外感を感じてしまう。そのため、自ら用意されている土俵に登ってしまう。

その土俵になれてしまうと、自分の土俵を探すことも、ある事自体見失ったままになる。

そうして、競争相手に負けてしまうのだ。

アメリカやヨーロッパでコーチングが使われている

日本では、集団主義が中心に語られる。チームにために個人がある。という意識があるそうだ。画一的な考えのもとで、日本のスポーツが行われている。指導者に好まれた選手が台頭する。とすれば、自分の土俵を指導者の土俵に置き換えることが必要になる。

選手の個性を抑え、指導者の個性になじませるという非効率な方法を選手たちが採用している可能性がある。

海外ではどうだろう。海外は個人主義と集団主義のバランスが日本とは異なっている。個人の才能を伸ばし、チームに活用するという考えがある。チームのために、どんな才能を能力を入れれば良いか。人と同じ才能は必要ない。同じ才能であれば、チームを変化させることはできないのだから。

そのために、海外では個の能力や才能を伸ばすことが優先課題となっている。

個の能力や才能を伸ばす。コーチングは個別対応だから、海外ではコーチングが使われているのだ。

自らの才能を伸ばすために、思考力を深める効果的なツールがコーチング

個別指導ではなく、個別対応となる。行きたい場所を決めるのは選手自身。選手の思考を深めるためのツールがコーチングであり、対話なのだ。

思考力は対話を中心に深まっていく。見たい物だけをみる。そこに別の視点をくわえる。別の価値観を加えることで、思考は深まっていく。

思考を深めて、這い上がっていきたいと考えているなら、相談に来てほしい。きっとあなたがほしがっている「思考力を深める」というものをきっと手に入れることができるはずだ。