ニューノーマルを受け入れるということ

ニューノーマル

ノーマル=普通。新しい普通。何だろう?新しい普通って。何か特別なことなのだろうか?そう、特別らしい。特別な何か?ということをいいたいらしい。批判めいたことをいうのですが、今更?という感じがしています。

いつもニューノーマル

この数十年間。世界はいつもニューノーマル。という節目を迎えては、それに順応している。僕はそう思っている。
日本は昭和になって約100年になる。この一世紀の間に、普通はどのくらい変化しているのか?と記憶を呼び覚ました。
明治になって約150年。ここまで遡れば、日本にとってはニューノーマルの連続だったと認識できるのではないでしょうか?

明治維新=ニューノーマル

何が新しい普通っていうと、刀を持たない生活となった。いつ切られてもおかしくない日常がなくなった。名字を持つ事ができるようになった。職業選択の自由ができた。商売ができるようになった。移動に籠を使わない様になった。法律という決まりができて、人はそれに従うことになった。

全て新しい普通。

戦後=ニューノーマル

民主主義になった。家長制度が無くなった。財閥がなくなった。今までの正義がなくなった。軍隊がなくなった。個人というものが認識され始めた。

コロナを防ぐ=ニューノーマル

人が集まることを少なくする。出社する事が無くなる。在宅勤務となる。マスクをする。手洗いをする。外出を控える。などなど。

変化の度合いを比較してみる

現状と明治維新を比べたり、現状と戦後を比べると今回のニューノーマルはどの程度の変化なのだろう?
明治維新は、文化、文明そのものが一気に変化を起こさざるを得ない状況になった。この変化は相当受け入れがたいものだったのだと思う。いきなり西洋の法律に従うことやチョンマゲを無くすこととなったのだから、変化の度合いはものすごいものだったと想像できる。

戦後の変化はもっと凄い。いままで正義と思っていたことが邪悪であるかのようにいわれてきた。文化そのものが壊されていくようになった。

変化は受け入れられる。

これまで、ものすごい変化を人間は順応し対応しているのだから、必要以上に恐れることはない。その対応能力は持っているのだから、必要以上に考えすぎる必要はないと思っている。過剰に反応しすぎると個人的には大変なことになるので、事実をできるだけ確認しつつ移行していこうと思う。

変化を受け入れるために必要な事実

ニュース。マスコミが報道しているもの事実の一つかもしれない。ネットで流れているもの事実なのかもしれない。そのいくつかの報道を照らし合わせると、事実の姿がわかるのかもしれない。マネジメントで360度フィードバック。というものがある。なので、コロナも360度で情報を仕入れ判断していきたい。何をどのように対応することが、生き延びて自分のなりたいこと、したいことをするために良いのかが見えてくる。

危険な「あの人がこう言っている」

危険なのはたった一人の意見が、自分の行動基準になっているということ。自分の行動基準をたった一人の意見を採用することは、道を誤る確実な手法だからだ。いろんな情報を見聞きして、自分の責任において選択する。それが有効だと思う。

これから先も、目標に向かって歩いて行く

自分自身で納得した人生を歩むために、基準は自分で決めた方がいいと私はおもっている。だって、自分の人生を他人に委ねる気はさらさらないので、、