生きている喜び

昨日はとある場所の住職とお話をした。

串揚げ屋で1時間半あまり、お話をした。

齢63。50歳前半にも見える出で立ちで、活き活きと話している姿は

63歳には見えない。

一晩明けて思う。

生きている喜びとはなんなのか?

自分の判断で生きている時じゃないか?

と感じる。

 

自分の力で、、

と書きかけたけど、

違うと思った。

笑顔の女性
photoBさんによる写真ACからの写真

私は周りの人たちの力を借りて

生きている。

助けられて生きている。

自分の力で生きている訳ではない。

人との関わりの中で

生きているのだ。

 

そう思うと「自分の力で生きていく」

というのは違うと感じた。

 

じゃあ、どういうときなのか?

そう思うと

「自分が判断した人生。自分で責任をもって選択した時を生きているとき」

それが、生きている喜びになるのだと書きながら感じた。

 

「自分がいろんな人の支援を受けながら、

自らが判断して選択した時間。

自らが責任を負う覚悟をもって

選択した時間を生きている」

 

こんな風に思えることが

生きている喜びなのだと思う。

やる気
tropchou19981027さんによる写真ACからの写真

自らが責任を負う覚悟をもって

判断する。

 

私が実践している今の人生は

私が選択した結果である。

 

今朝は朝食を食べながら、

そんな思いが湧き上がってきた。

 

私が提供するコーチングは

「自らが責任を負う覚悟をもって判断する」

ことを習慣化することだ。

コーチングセッションでは毎回、自らを客観視することが

効果的だ。ありのままの自分を見つめることが

効果的なのだ。

判断は客観視することが可能となったとき

効果的な判断ができる。

クライアントが

「自らが責任を負う覚悟をもって判断する」

その行為を継続して支援し続ける。

幸せな男

クライアントが

生きている喜びをつかんで欲しい。

 

そう思っている。