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人はなぜ、本を読む?人はなぜ、スマホを見るのか?(雑感)

人はなぜ、本を読むのだろう。
なぜ、人は本を読みたくなるのだろう?
なぜ、人はこうしてまでスマホを手放さないのだろう?
 
生きて行くには、スマホなど必要ない。
スマホなど無くても生きては行ける。
なのに、人はスマホを手放さない?
 
何故なのだろう?
 
人は文明によって大量の余暇の時間を得ることになった。
余暇とは暇な時間なのだ。
暇は、人に罪悪感を与える。
 
暇であって良いのに・・
 
サバンナの動物は至って暇である。
一日の大半は寝て過ごす。
移動で過ごす。
 
暇で良いのだ。
 
なのに、人はスマホを手放さない。
 
不思議なのだ?
 
 
知的刺激が欲しいのだ!
そう言うかもしれない。
 
 
では、なぜ、知的刺激が欲しいのだろう?
これも不思議なことなのだ!
 
 
自ら、知的刺激をほしがるのは何故なのだろう?
そう考えていくと、不思議が広がる。
 
 
そもそも、文章をこうやって書いている僕自身も
暇を潰すかのごとく
文章を書いている。
 
生きていく為なのだろうか?
 
いや、いや、
生きて行くには、
食料と水と寝床と安全な場所さえあれば良い。
そのはずなのだ。
 
 
でも、それだけでは満足?
しないのも事実なのだ!
 
満足とは何だ?
 
何に
満足を感じるのだろうか?
 
 
人との比較?
人からの賞賛?
 
 
スマホを見ている人は
スマホを見ている状態を誰かに
見てもらおうとは思っていない。
 
 
本を読んでいる人は
本を読んでいる姿を
誰かに見てもらおうとして
読んでいるとは到底思えない。
 
 
不思議だ!
 
 
知識を蓄えるために生きているのだろうか?
 
 
納得できない。
 
 
ひとつの仮説を立ててみよう。
 
 
種子植物は
種から発芽して、自らの丈を伸ばして、花を咲かせる
種をつけて、枯れていく。
 
哺乳類も同じだと仮定したら?
 
 
生まれて、自らの丈を伸ばして、つがいを見つけ
子どもをもうけ、死んでいく。
 
 
この仮定の内に
本を読む行為が必要なのだろうか?
スマホを見る行為が必要なのだろうか?
 
 
永い時間の中で
生き物は自らの姿を変えていく
”進化”という
環境に適応するために
自らの姿を変えていく。
 
 
植物にも備わっている機能だ
哺乳類にも備わっている。
 
 
永い時間の中で行われている
 
 
人の一生、植物の一生のかなで
同じように行われているのか?
 
少しでも進化しようとしているのか?
少しでも適応しようとしているのか?
 
そのために、丈を伸ばして行くのだろうか?
 
植物が陽の光を求めて丈を伸ばすように
人は知識をもとめて本を読みスマホを見て情報を得るのだろうか?
 
 
少しずつ、進化しようとしている。
少しずつ、適応しようとしている。
 
 
人の人生など
短いものだ。
 
わずか100年程度。
その100年の間に
知識を取り入れて何になる。
 
一人の人間の知識などたかがしれている。
 
そんな風にも思う。
 
 
知識とは何だろうか?
 
 
知識の種類はどれほどの数、量があるのだろうか?
 
人の知識を「思考」と置き換えてみる。
 
人の思考は今までの歴史の中で
全く同じ思考は存在しないと仮定してみる
 
この仮定は以下の状況から生じる。
 
 
DNAレベルまで分解する。
DNAは人の身長体重や思考までに影響を与えるとする。
ホモサピエンスである私たちは
アウストラロピテクスとは異なるDNAを持っている
ホモサピエンス同士であっても
同じDNAは過去にも未来にも存在する事は無い。
 
そう仮定する。
思考にまで影響すると仮定すれば
同じ思考の人類は存在しないことになる。
 
どのようして
人類は今まで
進化してきたのだろうか?
 
 
交配を繰り返す事によって
進化してきたとするならば
異なるDNAが細胞レベルで
交わることで
進化したことになる。
 
 
この期間は数十年単位で行われる。
 
DNAは思考と例えた。
 
数年単位あるいは数日単位で
人の思考は変わっている。
 
思考が変われば行動は変わって行く
行動が変わると言うことは
行動する範囲も変わるということ
 
 
その結果、出逢う人の組み合わせが変わってくるのだ。
 
 
日本人は、日本列島の中で生きてきたとされる。
同じようなDNAで
同じような思考で
数万年生きてきたとする。
 
 
昨今は日本人以外の人種?と交配する機会が増えている。
 
その結果、スポーツや知識、行動レベルで
今までとは異なる
結果を残すようになった。
 
 
この事象を交配による進化と
とらえてみよう。
 
 
人は環境に適応するために
進化するという本能?宿命?を持っている
 
対極に退化がある。
 
それは結果であって、どの組み合わせが
将来の人類にとって
良いのかは、不明だ。
 
だからが故に
様々な組み合わせを
行っている。
 
 
これは数百年単位の物語なのだ。
 
 
では数十年単位の物語として
交配を踏まえない進化・退化というものは
あるのだろうか?
 
 
僕はあると思う。
 
 
交配をDNAの組み合わせをつくっているとする。
 
 
DNAを思考と置き換える。
交配を知識の組み合わせと置き換える。
 
 
知識や経験は人の数だけあり、時代の数だけあり、環境の違いにより存在している。
その数は無数だろう。
人類が生き続ける限り。
 
 
私以外が知っている知識や経験を
認知する。
この行為そのものが、
知識や経験の交配だとできる。
 
その結果、別の思考が生み出される。
 
新たなるDNA(思考)の誕生なのだ!
 
環境に適応するために
人類という種が存続するために
DNAが変化している。
 
これは万年単位だ。
 
 
この進化を数年で行うのが
知識や経験を交配することなのだ!
 
 
話を最初に戻すと
 
人が本を読んだり
スマホを見て情報を仕入れる行動は
 
知識や経験を交配するための
行動だと言うことになる。
 
 
ここまで書いてきて
自分でも納得する。
 
 
そうか、こうやって
文章を書くことも
知識の交配を進めていく事なんだと・・
 
 
そうか、人が知識という
経験という丈を伸ばすために
 
知識や経験を行っているんだなあと置き換えることができるのだと・・
 
 
知識の交配とは?
 
新たに疑問が湧いてきた。
 
知識や経験の交配とは何だろうと・・
 
交配することによって、どうなるのか?
交配とは、人為的に受精させることとなるが、
知識や経験を人為的に組み合わせたら
何が生じるのか?
 
 
書いてきて思うのは、異なる考え方を手にする。
 
ということだと思う。
 
 
異なるとは
今までの考え方と別の思考ということになる。
さらに言い替えると「視点」と言えるのだろう・・
 
 
続く・・
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