教育批判ではありません。私が感じていることです。

群馬県でプロコーチをしているモチベーションの専門家、茂木ゆういちです。

在るが儘でいることは、なぜいけないのでしょうか?

兵隊が悪い訳でもなく、教育が悪い訳でもなく、そう思い込んでしまっていた自分がいたんです。この思いこみとは、「人から言われたことを信じる」「人から言われたことを忠実に実行する」そうでなくてはいけない。そう、思い込んでいたんです。

私は三人兄弟の末っ子長男で、周りから「甘ったれ」で「泣き虫」で、といわれて育ってきました。そして、姉の言うことをちゃんと聞きなさい!と言われて育っていて、それに従うと自分で決めていました。

偏向していたのか、「言うことに従わない子は”悪い子”」という認識を自分の中でそだてて、大事にしていました。そのため、自分を出すことに恐れを持っていました。

自分の考えを発露する前に、「誰かの言うことを聞かなくてはいけない」「自分の考えは甘い」という風に思っていました。そのために、「自分の考え」「自分の意見」を言うことに罪悪感を感じていたのです。

破天荒な考えを持った中学校の友人達

中学の友人達は、個性的で自分の意見に自信をもっていました。その当時の私からは「輝いている」人達です。その友人グループの端っこに入れてもらっただけでも今の私にとってはありがたいことです。その人達は、ミュージシャンになったり、ベンチャーで成功したり、ヤクザになったり、ケーキ屋さんになったり、普通に暮らしていたり、今は様々な事をしながら暮らしています。

その一方で、私は親の仕事の後を継ぐという事を決めていました。親の仕事は「建具屋」です。建具屋とは、家の中にあるドア、戸、障子などを作る仕事です。その仕事をする事が一番良いことだと思っていました。親の後を継ぐことが「総領(跡を継ぐ)」の役割だとおもっていたのです。

親から跡を継ぐ必要は無いと言われて迷う

高校を選択する時に、跡を継ぐのだから「工業高校」へ進学することを親に伝えたところ「やんわりと否定」されます。その当時では、考えもしなかったことですが、親としては自分の人生を決めるには早いと考えていたのだと認識していたのでは?と推測しています。

建具屋さんの障子

結果「普通高校」と言われる進学校に進みます。そこで、建具屋になる。という方向性を失った自分はやることが定まりません。野球部に入りましたが、なぜ野球をしているのか?も明確ではないし、ただ、入ったからやっている。に過ぎなかったんです。そのため、成長しないし、探究心もないし、努力も長続きしないんです。

もともと才能がないと思っていたし、友人には「○○と高校で勝負したいから」などと、とってつけた理由をいっていました。(※後になって思い返せば、自分を大きく見せたいがための理由だったんですね)余計に真剣になれずにいたんです。まあ、迷って迷っていたんだなあと思いますけど、、

周りに影響する人がいなくなって、素の自分になれるようになった。

ありがたく、大学進学できるようになり、地元を離れて一人暮らしを始めるようになりました。東京ではなく、地方だったことが「幸い」したようです。そこでは、親がいない、友人も少ない(高校時代の同級生はいなかった)。中学高校の同級生はいましたが、方向性が違ったため疎遠になっていきました。その環境が良かったようです。

自分自身の思いや意見を伝えても、先入観無く聴いてもらえたし「意見」を「意見」として受け取ってもらえたことが、良いように自分に働きました。

一人の時には、ラジオを聞いて物思いに伏せったり、一人で海岸線を走ったり、海風を受けながらボーッとしたりして過ごしていました。

ものすごく、気持ちが軽くなって、自分の行動範囲と興味の幅が広がったことを感じました。

少年時代何を言われていたかと言うと

周辺の人の思いこみを伝えられていた。「末っ子長男はこうだ」「みんなと同じようにしなさい」「なぜ、同じようにできないの?」「同じ価値観で競争しなさい」という言葉を投げかけられていました。周りにはそうで無い人がいましたが、私はその言葉に従っていく。ということを決めていたんです。

なぜ?

理由は「楽だから」「余計なことをせずに済むから」というものです。

「周りを同じでいること」は説明しなくてもいい。説明することを考えずに済むからなんです。余計なコトをしたときにも同じです。「なぜそんなことをしたんだ?」という事を考えることが面倒だったんです。

私は、理由を言葉にできなかった。だから、従うことを選び実践してきたんです。これも自分が選んだ事なんです。

従うことは次第に苦しくなることに気づいた

考え込む自分

従うことは楽なんです。ですが、成長と共に窮屈になってきます。大学時代、素の自分になったことで、従うことをしなかったことが、自分にとって気持ちの良い時間となったんです。

楽な事=気持ちの良い時間。という方程式がくずれたのです。楽な事=窮屈な時間。となったんです。

素の自分を出すことに罪悪感を持っていた。そこから変わり、素の自分を出すことで、私自身を他の誰かとは異なる「私」を認識してもらえたことに「満足感」を感じてきます。徐々にでは在りますけど、「私が私でいる」そのことの方が、幸せになれると思い始めた時だったんです。

47歳からでも変われることを実証しています

それでも、私は54歳で起業するまで母親の価値観「公務員って良いんだよ」という価値観の中で生活してきました。母親の言う公務員っていうのは「解雇されずに年功序列で給与が上がる職業」というものです。母親の時代は「生きる為に、お金を稼ぐ」が価値観の最上位だったので、当たり前のことです。

時代は変わって、「稼ぐこと=雇用されること」という方程式が成り立たなくなっています。

47歳から自分のライフスタイルを変えてみようと思い立ち、少しずつ準備を始め54歳からは好きな事に時間を使えるように生きていく事を選択しています。

54歳で独立して、どうなのか?

快適です。本当に快適なんです。特に苦しいとかは感じていません。なんとか乗り越えられると思っているし、だめだったら、別の選択肢もあるし、なんとかなると思っているし、行動を続けているし、毎日が楽しいんです。

47歳からでも人生を再構築できるんです。

今までの思いこみや価値観を修正することには時間がかかりますので、一筋縄ではいきません。ですが、7年間でその後の30年を手に入れたと思えば、短いものです。

小学校から大学までの期間は16年間です。7年の倍以上です。その期間を経て、就職しています。それから見れば短い期間で、自分のしたい仕事をできるようになるんですから、効果的であることは間違いないのではないでしょうか?

47歳からのチャレンジを応援していきます。

覚悟を決めて、チャレンジをしていくことを応援します。どのような仕事につくのか?どんな風に生きていくのか?そのためのツールは何なのか?それらを明らかにしていくことからはじめて、自分の価値観を徐々に表に出していけるようにします。

急激な変化は、反動を呼びます。なので徐々にやっていきます。

コーチングの期間は3ヶ月以上といいます。

私はこのテーマの場合、1年半=18ヶ月かけていくことが効果的だと思っています。

3ステップに分けて考えます。

①Step:最初の6ヶ月は現状の自分について語ります。同時に価値についても語ります。

②step:なりたい夢や目標、したいことなどをゆっくり語ってもらいます。そして、プロセス設計を行います。

③Step:実際に行動して、PDCAを回していきます。そして修正して行きます。

その後は、自立走行です。実行在るのみです。

興味がある方は連絡をください。

覚悟をもって人生を再構築したい方は連絡ください。相談に乗ります。あなたの話を聞いていきます。

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今、決断することが未来を変えます。

このサービスを受けることは強要しません。なぜなら、1年半も応援し続ける為に強要してやってもらうには長すぎるんです。御自身の覚悟が大事なので、決断してもらった方が良いんです。

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