For アスリート/スポーツ選手

7月1日ということ。痛みを受け入れて、前にすすもう!

No Pain No Gain

友人からLINEが来た。札幌山の手高校ラグビー部の監督「佐藤幹夫」さんの著書の紹介だった。いいタイミングかもしれない。そうおもった。「痛みなくして、得るものはない」僕の解釈だけど、何かを得るためには、痛みが伴う。ということだと思う。

悪評を気にすることで失うもの

こう言ったら、まずいかも。こんなこと言ったら批判されるかも。などというマインドがある。起業したらなおさら、マイナス要因を避けて進もうとする自分がいる。

それでもそこそこ生活ができてきている。その事実が、覚悟を揺るがしていると思えている。

悪評が立ってもしかたない。悪評が立つほどに、注目されればしめたものだ。というマインドになれればいいのだがそこにはなれない自分がいる。

失うものは「開拓精神」だ。覚悟が失われる。行動が失われる。するととんがれない自分ができあがるのだ。

そもそもなぜ、僕が起業したのか?を想い出す

才能を発揮できずにスポーツ人生を終了してしまう人がいる。そんな人たちを少しでも少なくしたいと思っている。そんな思うからだ。

才能が発揮できない原因は様々だけど、その中で最たるものと僕が認識している原因は、長期目標と目的が存在していないこと。

もう一つの原因は、感情と感覚のみに頼ってしまっていること。

もう一つの原因は、視野狭窄になっていること。

その状況を改善したいと思っている人をサポート、支援したいと思ったからだ。

改善したい対象は「育成システム」

50才になったときに、どんな自分になっているだろうか?

想像しているのか?想像できているのか?常に意識にあるのか?を問いかけたい。

小学校の作文で「将来の夢」なるものを書く機会はある。中学校でもあるのかな?あっても規程通りの夢だったりするんだろうなあ。と思う。

夢の前に障壁が幾つも出てくる。定期テスト、受験、大会などで結果を残す事が将来につながる道だ!というまやかしを徹底的にたたき込まれている。その障壁を越さずに夢を語るなど10年早いわ!などともっともらしいことをのたまう先生や大人たちに囲まれている。

その教育を18年間、もしくは22年間続けている。とすれば、将来の事など夢などを語ることは、普通の生活ではありえなくなる。

これが、才能を開花させない大きな原因だと捉えている。

スポーツにおいて、夢は語れないシステム

スポーツ、プロはその時の結果が全てであって、結果が出せなければ意味がない。そんなシステムだ。夢などを言うよりも、目先の勝利で手一杯だ。

監督、コーチも勝利のために存在するのだから、目先のことにこだわってしまう。すると選手は使い捨ての駒のような扱いを受けるものだから、過酷な環境となっている。

そんな中では、才能を発揮することは困難だと思えるのだ。

長期目標と目的が才能を発揮することに役立っている

長期目標とは、10年後、20年後の自分のなりたい姿。

目的とは、なぜその姿になりたいのかという理由。

このふたつがあることで、人はレジリエンス(回復力、復元力)を発揮する。目の前の目標にしっぱしたとしても、その目標が終着点出ない限り、次がある。通過点であれば、挽回はいつでも可能だという認識を得られることになる。

才能を発揮するためには、失敗という恐怖と闘うことになる。長期目標と目的があれば、失敗を資産にすることさえも可能になるのだ。

現時点で日本の育成システムは、この機能が存在していない

持続的に育成するには、前述の視点が効果的だが育成システムに組み込まれていない。とはいっても、組織的に急激にシステムを変えて行くことは、現状では困難だ。

というのは、昭和世代の育成システムが強固に入り込んでいる。そしてそれが正しいと思っている指導者が大多数を占めている。日本人がナショナルチームのヘッドコーチになる割合が低いのがその証拠となっている。

外部から人を入れることで、育成システムがことなることに寛容になっている。これは明治以降培われている意識だ。

それを利用して育成している。結果的に日本人の指導者の意識が変わるところまで行けないのだ。

それでも、今の育成システムを変えていくことをしたい

「コーチング」という可能性を最大化する育成方法が日本に入って30数年経つ。しかし、機能していない。そう思う。「コーチング」=「カウンセリング」と認識している人の多さよ。嘆くばかり。

「コーチング」は「思考する」「可能性を最大化する」ことを目的にしている。癒やしだとか自分探しで終わらすものではないと認識している。

スポーツは創造するものであり、思考するものである。幾多のプレーは、アスリートの観察力、思考力、判断力、決断力、実行力のたまものである。僕はそう思っている。

創造的プレーを支えるのがフィジカルであり、テクニックなのだ。

スキルを磨くためには、想像力を鍛える事は不可避だと思っているのだが、そのやりとりが現場でできるほどの指導者の数はいない。

それが、現実である。その現実を少しでも変えたいと思っている。

だから、批判を受けようとも、無視されようとも、発信をしていくことを続けようと思う。

想像力、判断力は対話で養える

これは、事実だ。だから,アスリートに対して僕をコーチにつけるよう勧めている。僕のやるコーチングは対話である。対話を進めることで、思考力、判断力、決断力、想像力を養い、失敗を資産に変換する。その結果、成長(変化)が早まるのだ。

「批判、批評」は僕にとってPain。ここを受け入れる覚悟をもとうと決意するそうすれば、前に進むのだ。

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