ココ・シャネル

ココ・シャネル(2008年)の映画を3回見た。最初の2回は作業をしながら。今日はじっくり136分 腰を据えて見た。

ココシャネルは僕からすれば縁遠いブランドであり、女性へのプレゼントでもするようであれば、自ら出かけて行く。しかし、僕はそんなしゃれたことが出来ないので、縁遠いブランドである。

なぜこの映画をみようと思ったかは、おいとく。

久々に気持ちが引き締まった。見終わった後、襟を正そうとおもうものだった。

なぜなのか?

起業して2年目に突入した僕の気持ちを奮い立たせてくれるものだったのだ。

ココ・シャネルは自分を信じていた人。

そういう風に感じた。

「自分の生き方を決めれば、人はくよくよしない」

このセリフは、今の僕を表現するにはぴったりなもの。

「生き方を決める」

生き方を決めれば良いのだ。簡単なようで簡単ではない。シャネルにとっては決めなければ生きていくことすらできない。そんな環境だったようにも思う。確かに楽に生きる方法はいくつか存在したのだろう。しかし、彼女は自分の信じているものを、自分の行動で表現していく。

そう、行動からしか自分の希望は叶えられない。だから行動する。

話はそれる。

自責文化と他責文化。

自責文化とは、自分が自分のことに責任を持つ。生死、失敗も持つ。この場合、自分を責めるではなく、自分の責任を自分で持つ。そういう意味だ。失敗も成功も自分の責任である。失敗から自分は強くなる。

他責文化とは、誰かが自分のことの責任を持ってもらう。というもの。他人を責めるのではなく、自分が生きる責任を他人に持たせる。という意味。失敗も成功も誰かのおかげである。という。失敗の責任を誰かに取ってもらう。

コーチングは、アメリカで整理され体系化されている。これが成立したのは自責文化があるアメリカだからだろう。間違っても今の日本では成立しないと最近は思う。

日本に住んでいると気になる。失敗やうまくいかないことがあると誰かのせいにしたい。そんな空気。いや、発言を聞く機会が多い。やれ政治がわるい。行政がわるい。今の生活が苦しいのは誰かのせいだ。俺はもっと良い生活が出来るはず。でも誰かが邪魔をしてる。誰かが俺に何かをしている。こうして欲しい。ということを聞く機会が多い。

政治や行政に身を委ねざるを得ない状況ではある。

しかし、いろんな人や組織をブチブチ言うのを辞めて、「なぜ、こうなんだろう?」と考えてもらいたい。

政治が悪い。会社が悪い。そういう!

では、政治は誰がしている?政治家だ。

政治家がどうするとなれる?

選挙で票を獲得するとなれる。

では、誰がその票を投じているのか?それは僕たちなのだ!

政治家を信じ、任せているのであり、委ねている訳ではない。政治が悪いのであれば、政治家を選んだ僕たちがそれを選択したことなのだ。それが嫌ならば、政治家を選ばなければ良い。他に人がいないのであれば、政治家に要望をもっと浴びせても良いのだ!

誰かが行ってくれるわけではない。それほど、みんな暇じゃない。僕の代わりに文句を言う人は絶対にいない!

この社会を作り出しているのは、紛れもない僕たちなのだ!

話をココシャネルに戻す。

「世の中ってそういうものよ。今更変えられない」

というセリフがある。本当だろうか?今はその当時と比べて変わっている。まったくといって良いほど、変化した。

これは「解釈である」

自分が変わり、周りが影響されていく。そして流行になる。シャネルが流行なのだ。

さて、自分がどう生きるのかは「自分決める」のだ。

自分の今の生活に不満があるのであれば、不満のある生活を「自分で選んでいる」のである。

選択権は、自分にあるのだ!どう生きるかは自分で選択できる。

選択した後は行動あるのみだ。シャネルのように、、

シャネルはこうも言う。

「待っているだけでいいの?」

と。

僕は、誰にも強要しない。リクエストはするが、するしないは、その人が決めるのだ。

僕は、誰かの人生を抱え込むつもりはない。

僕を見て、影響される。情報提供する。これしかできない。

あなたは、あなたの幸せの為に時間を使って欲しい。

そのために、コーチがいるのだ!

参考

ココシャル 名言集

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